幸福論_お金!!、、、ではないよね

例えば、openworksの年代別の平均年収のデータでは、東大出身の方は新卒から50代まで一貫して、トップですが、慶應や早稲田などの有名大学はどうかというと、25歳時点で東大出身者との年収の差は50万円、45歳時点で約150万円です。

税金とか考えると、さらに差は縮まりますから、偏差値ほどの差はないですよね。

あまり、年収で物を言うのは好きじゃないですが、学力がどれだけ高くても、生活はあまり変わらないということになります。

親は子の幸せを願う

親にとって子供は大切な存在で、守るべき対象です。

親は、将来子供が食うに困らないように、

「勉強をしっかりさせて、いい学校に行かせられたら、いい企業に入ることができて、(給与が高いので)いい生活ができる」

と信じています。

でも、実際は「いい学校」に入って、「いい企業」に勤めても、労力に見合う対価は得られません。ほんの少しの差のために、大きな努力は必要でしょうか?

もっと言えば、お金を最低条件にするなら、子供が大きくなってからのお金を増やしたらいいじゃないかと。
例えば、(これをいうと妻に怒られますが)大学入学時に奨学金をフルに借ります。月額12万円くらいです。そこから学費とか払って、5万円が残るとしましょう。その5万円を4年間積み立て投資しましょう。自分で投資信託を買ってもいいし、保険会社がやっている個人年金保険でもいいです。保険会社で一番優秀なのがソニー生命ですが、その成績がだいたい年利10%以上です。つまり4年間で411万円になります。公表値の6%だと380万円くらいです。
奨学金は4年間で12×12×4=576万円で、20年間で返すことになるので、月の返済は2.4万円です。(金利は無視できるくらい小さい)積み立てていた411万円を運用しつつ、奨学金の返済に回すと、20年後には10%の運用で1027万円手元に残り、6%だと224万円残ります。
この後、子供が45歳以降、年間100万円が運用益として入ってきます。使わなくてもいいし、生活の足しにしてもいいです。

大学新卒の給与が平均250万円くらいの中、年間100万円あったら、どうですか?卒業する大学の違いで生じる年収の差は、十分満たされると思います。

幸せは感じるものでなく、考えるもの

そもそも、幸せとはなんでしょうか?皆本当は自分の中に答えがあるのに、つい他所様の生活を見て、そこに幸せがあるのではないかと考えてしまいます。

私にとっての幸せは、「高級な食事」にはなく、「高価な商品を買うこと」にもありません。家族や友人とコロッケを食べたり、缶ビールを飲んでいる時にあります。もちろん、空手をしている時も本当に楽しいです。

私の幸せなので、他の誰かにとっても同じなどとは言いません。ここで言いたいのは、幸せなんてそんなものだということです。

そして、幸せというのは、感じる事ができません。なぜかというと、その時には「楽しい」としか感じないからです。幸せかどうかは、過去を振り返った時に、自分が幸せかどうか考えた結果で決まります。

「あなたは今幸せですか?」

と聞かれたとき、皆考えるのは「今」だけじゃないはずです。これまでの色々なイベントを思い出して総合結果として、「幸せです」とか「不幸です」と答えるかと思います。

だから、子供が育った時に、幸せであってほしいなら、あるイベントが幸せに当たるかどうかの判定基準を一緒に考えてあげるのが良いのではないかなと思います。

というか、私はそうします。


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板割りしました_2022年末

記事を書かなければと思いつつ、ダラダラと先延ばしにしていました。。。昨年末の板割りの件です。

当教室が今の場所で稽古するようになって、約1年以上が経過しました。生徒さんの数も当初の想定よりも多くなって、稽古の質が高くなったことを実感します。

さて、実力をめきめきと伸ばしている子供達ですが、

こころの方はどうだろうか?ということで、2022年12月18日、22日、23日に板わりをしてもらいました。

子供とは言え、力は十分あり、板1枚割るくらいは造作もないこと

と思っても、実際に硬そうな板を目の前にすると、恐怖心が勝って、十分に突いたり蹴ったりできないことがざらにあります。

板割の目的は

「恐怖心を克服し挑戦する」

という体験です。

日頃、練習のための身支度や送迎、自宅練習を頑張ってくれている保護者の方々にとっは、我が子が板を割る事ができたかどうかが気になると思いますが、挑戦したことについてほめてあげてくださいと事前にお伝えさせて頂きました。

私どもとしても、子供達がどんな思いをしていたのか知りたいなといつも思いますが、野暮なので聞きません。

2023年もたくさん成長してくれたらうれしいなと願います。

年末年始のお知らせ

師走のはやさを実感する今日この頃です。今年になって道場を移してからも練習生が来てくれていてとても嬉しく思います。

さて、本年の練習日程についてご連絡です。すでに練習生にはお伝えしていますが、以下のようにしたいと思います。

稽古納:2022年12月23日金曜日

稽古始:2023年1月12日木曜日

今年の練習で学んだことを、ご自宅で省みて、身体がなまらないように頑張りましょう。

待つって大事

普段空手を教えていると、悲しいこともあればうれしいこともあります。

もちろん試合で生徒が勝つと自分が勝った時よりもうれしいわけなのですが、指導者として最もうれしいことは、生徒の成長が感じられた時です。

当教室では座礼の号令を生徒にやってもらっています。誰がやるかは、挙手制で決めているのですが、何も介入しないと一向に立候補しない子もいるので、時折そういう子には号令をやらないかと提案します。絶対に無理やりはしません。

入会当初からしばらくは恥ずかしがってしまって、号令を提案してもやってくれない日が続いていた生徒がいるのですが、最近は自ら挙手し、号令の立候補をしてくれるようになりました。しかもハキハキとした掛け声でやってくれます。その子の精神的成長は他にも見られ、例えば、基本稽古における号令でも非常に大きな声でやってくれるようになりました。

無理やりやらせてもいいことはありません。無理やりやらせてできるようになっても、それはその子が成長したのではなく、成長させられただけです。

子供の成長にとって、自主性は大事な要素です。特に初心者のうちは、恥ずかしいとか自信がないとか、間違えたくないという誤ったプライドが邪魔をして、なかなか自らの思いを伝えられなかったり、指導者からの提案を待つのみとなってしまいがちです。

その殻を破るのは、子供自身です。今までできないと心の殻にこもっていても、それじゃだめだと思っている部分もあって、その思いが大きくなって、やってみようとなったときに人間は成長するのだと私は考えます。

号令をかけるように無理やりやらせることは簡単ですが、それをやると、せっかく号令への立候補という自主性を育む機会が減ってしまいます。当教室は生徒の人間的な成長を第一に考えるので、無理やりやらせることはしません。もちろん、性格的に最初の一押しがあったほうがうまくいく子もいるので、絶対ではありませんが、そこは難しいところです。

子供の成長は1人1人全く違います。どのチャンスをものにするかはそれぞれです。
号令かもしれないし、
挨拶かもしれない、
休憩中の遊びかもしれないし、
練習メニューへの要望かもしれない、
試験を受けたいと直談判することかもしれない。

そう思って、私たちは指導しています。
非常にもどかしいのですが、指導者としては、とにかく成長の機会だけは与えて、あとはひたすらに少しサポートしながら『待つ』ことが大事なのかなと思います。


令和4年度の第51回相模原市空手道大会に参加しました

2022年11月20日に相模原市空手道協会が主催する第51回相模原市空手道大会に参加しました。

相模原市では春と秋の2回に市内の道場が集まって大会を行っています。秋の大会は組手種目のみとなっていて、春の大会の反省を元に練習して臨む大会という位置づけです。当教室からは2名が参加しました。

幼年の部・組手
普段の練習から真剣に取り組んでくれていた成果を出せていれば、なんてタラレバは言っても仕方がないのですが、緊張していたか動きが硬かった。。。ただ、緊張するという事は、「勝ちたい」という気持ちが強いということです。幼年とは言え、自分で考えながら練習しているように感じるので、今後もどんどん伸びてくれたらうれしいです。

小学生3・4年生・組手
3,4年生の部で、2回戦で敗れてしまいました。
前回の藤和会の大会で中段突き1本で勝ち進んだ生徒で、次は新しい武器を教えるねと言っておきながら、伝えきれていないという教室としての反省がある中で、果敢に戦ってくれたので嬉しく思います。ただ、やはり緊張があったかなと思い、普段よりも動きにキレがなかったので、乗り越えてくれることを期待します。

終わりに

生徒さんには、なぜ緊張したか、なぜ負けたかについて自己分析した結果を言葉で表現できるようになってくれればいいかなと思います。その繰り返しが強くなる秘訣ですし、空手に限らず、どんな分野においても求められる能力です。
実務的な面でいえば、残念ながら、まだまだ当教室は生徒数が少なく、十分に練習相手がいる環境ではありません。その分、一人一人に密度の濃い指導ができているともいえるのですが、やはり実力を伸ばすには実戦あるのみなので、もどかしい思いです。ちょうど、高校時代に何度か戦って顔見知りだった方とお話しする機会があり、合同練習という形で技術交流をしましょうという話をさせて頂きました。

もっともっといい練習環境にして、相模原市の大会だけでなく、県大会や果ては全国大会にも出場を狙えるような道場にしていけるように頑張ります。

最後に、保護者様におかれましては、きっともどかしい気持ちを抱えながらも、根気よく子供たちの成長を見守ってくださって、ありがとうございます。空手の指導を任せて頂いているという責任を自覚し、今後もよい指導ができるように精進しますので、お力添えをお願いいたします。

メタ認知を身に着けるといいことあるよ

その考え方や感情は変えられます』でもお伝えした認知の仕方のことを、偉人の言葉を紹介しつつ書いてみようと思います。

りけんのけん

皆さんは「りけんのけん」が誰の言葉かご存知でしょうか?室町時代初期までに活躍した世阿弥という能を芸術に昇華した方が、能楽論書「花鏡」で書かれた言葉です。漢字だと「離見の見」と書きます。なにかというと、

舞台で舞っている自分を、まるで自らの身体から離れた視点からとらえると演技が上手になるよ

という意味の言葉になります。俯瞰して視ようということですね。今風の言葉でいうとメタ認知のことです。大切なことは、メタ認知の前に、我見・離見という二つの視点があることです。私からの視点、相手からの視点ですね。

当然、この二つが十分に備わらないとメタ認知などはできません。自分からの視点を認識しないと、それに対する感情や身体の反応が理解できません。相手からの視点を想像できないと、自分の行動による相手の反応が予測できません。そして、その二つの視点を同時に認知することで、自らの最適な行動を決定できます。

よくスポーツの試合を見ていると、私の場合はサッカーですが、「パスはそっちじゃないよなぁ」とか「なんでそこで抜きにいくんだ」と思ってしまうことが多々ありますようね。格闘技だと、「そこは突きじゃなくて蹴りの軌道が空いているのに」とかですかね。これは、観客はまさに選手の行動含め俯瞰的に観察できるからこその感想です。実際にプレーするとなると全く話が変わります。相手からのプレッシャーだったり、チャンスの芽が見えない位置に巧妙に隠されていたりするからです。

観の目、見の目

メタ認知をスポーツに落とし込んだ時に、大事なことは、宮本武蔵の五輪書に書かれている「観の目、見の目」

『目の付けようは大きに広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よわく遠き所を近く見、近き所を遠く見る事、兵法の専也。』
(戦いの時は、物事を大きくとらえるようにしよう。俯瞰的な視点(観の目)を強めに意識して、実際の見た目(見の目)は弱めに意識したがいいよ。離れたところの事に注意を払って、近くの事はあまり気にしないようにしようね。これが兵法では大事だよ)

自分を痛めつけようとする敵の一挙手一頭足は必要以上に気にかけてしまいがちですし、実際以上に強そうに見えたり、遠く見えたり、とにかく予測が実際と違うことは戦いの最中ではよくあることです。だからこそ、俯瞰的視点で惑わされないようにすることが大事なんですよね。木を見て森を視ずもそれを戒める言葉ですね。

世阿弥と比べた時に、相手視点はあまり気にしていないというか、たぶん自分が動いた時の相手の反応は騙しかもしれないし、微妙な違いで反応も違うはずだからあまり気にすると負ける(死ぬ)かもしれないので、見の目は弱めがよいと表現しているのかなと思います。世阿弥の場合は、観客からどう見られているかが商売なので、戦いとは似て非なるのかもしれませんが、戦術を練ったり、空手であれば形を練習するときには大切な視点です。

実践

例えば、受験勉強を例にしてみようと思います。個人的にスポーツと受験勉強は通じるところがあると思っているので、わかりやすさから勉強を例にしています。

「数学(算数)と国語のどちらを勉強するべきか」という問いがあったとします。空手なら突きか蹴りか、サッカーならドリブルかパスか。現実の問いはもっと複雑ですけどね。

当の本人にしてみれば、答えなどでない沼にはまるような問いかもしれませんが、メタ認知をすれば、どちらが正解かは状況によるとして客観的に答えが出ます。

まず問い直すべきは勉強の目的です。それにより把握すべき現状が異なります。

志望校合格
➤志望校の点数配分と問題との相性
学内順位を上げたい
➤学内における数学と国語のそれぞれの順位(低い方が上げやすい)
先生からの評価を上げたい
➤先生の担当教科(質問した方が評価が上がるらしい)

このようにメタ認知により彼我の置かれた状況を正確に把握することで問いへの適切な解答を得ます。また、さらに思考を深化させると、数学と国語のうち成績の上昇にかけなければいけないコストとリターンの大きさ・リターンを得るための期間が判断の材料になります。

このように「なぜ・どうやって・どうなる」を繰り返すことで、メタ認知の正確性や広さにつながります。

子供の場合は小学校高学年くらいからメタ認知能力が飛躍的に高まります。このメタ認知の多寡によりスポーツや学業の成績が決まるといってもいいかもしれません。

幼児教育では、「勉強(スポーツ)は楽しくやりましょう。楽しくないと続きませんし、伸びません」というのが謳い文句になっていますが、本質的には、楽しいと「どうやったら上手になるか?これを試したらどうなるか?」というのを考える機会が多くなるために、能力が上がっていくことにつながっているのだと思います。当然「楽しい」と感じることは非常に大事です。
そもそも自発的な関わりが「楽しさ」につながりますから、子供の教育においては、楽しさを大切にしつつ、考え方のヒントとして

「なんでそうなったのかな?どうしたらいいと思う?」

と問い。子供なりの答えが出た後に、

「じゃあ、やってみよう」

子供の考えを応援するとよいでのしょう。それが明らかに間違っていたとしても親が、あるいは指導者がそれを正してはいけないと思います。間違いには自ら気付けるようにならないといけません。


いかがでしょうか?
もちろん、うまくいかないことの方が多いでしょう。メタ認知は能力開発以外にも、精神的ストレスに適切に対処するための必須のスキルでもあるとと思います。また、物事の根本を考えようとする姿勢は、AI時代に求められる課題発見能力や解決能力に通じるものです。是非、ビジネス・趣味・子育てに活かしてみてください。

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令和4年度の藤和会オープン選手権に参加しました

2022年9月25日に藤和会さんが主催されている全日本藤和会オープン選手権に参加しました。

藤和会さんは懇意にしている団体さんであり、時折合同練習もさせて頂いている道場です。実を言えば、当教室の指導陣は全員藤和会で空手を学びました。今大会はコロナにより3年ぶりの開催となり、以前とは比べ物にならないくらい参加選手の人数は激減していました。とはいえ、やはり大会に向けて子供達は練習するわけで大会のレベルが下がったわけではなさそうです。相模原市の多くの空手道場さんが参加する大会で、相模原市民大会でも優勝するくらいの選手が出場してくるような大会ですので、当教室としても気合をいれて臨んだ大会になります。

幼年の部・形(基本)
幼年の部では8位までの間に当教室の生徒が4人も入ってくれました。自分事でもありますが、生徒様、保護者様、おめでとうございます。
そのうちの1人は優勝してくれたわけですが、立ち方・つき方・気合、全てにおいて圧倒的でした。今後も頑張ってくれたらなぁと思います。他の子もしっかりと練習の成果はだせていたかなと思います。後半になって集中力が切れてしまっていたので、それは課題ですね。今後は形を少しづつ覚えていくわけですが、しっかりとついてきてくれたらうれしいなと思います。

幼年の部・組手
優勝と3位決定戦で負けて4位に入ってくれた生徒が出ました。おめでとうございます。幼年とは言え、相手の出方を伺う感じなどもあって、手に汗握りました。本当によく頑張ってくれたと思います。欲を言えば、普段の練習の半分の実力も出せていなかったので、精神力を強化していくか、普段の半分でも勝てるくらいに実力をつけてもらう必要がありますね。反省点はいくつかありますが、一番気になったのは、技を出すときに力んでしまって予備動作が大きくなってしまうことです。小学生になると、予備動作でできた隙に技を入れられてしまうので、最重点課題として指導していこうと思います。

小学生・形
残念ながら入賞者はいませんでしたが、まだ空手を始めて1年くらいしか経っていないことを考えるとよく頑張ってくれたなと思います。6年生で始めた生徒はまだ4か月しか練習していないので、他所の道場で長くやっている子たちに交じって形を演武することは勇気がいることだったと思います。中学生になると学校の部活も忙しくなってやめてしまう子もいるのですが、その心意気が上達の要素でもあるので、もったいないから是非続けてほしいなと願っています。

小学生・組手
3,4年生の部で、3位決定戦で惜しくも敗れてしまい敢闘賞になりました。中段突き1本で勝ち進んだ生徒がいました。持てる武器をフルに使って、果敢に攻めてくれたので、とてもよかったと思います。練習時間が限られているので、なかなか新しい技や実践経験が不足する中で、十分な成果をだしてくれたと思います。形では緊張で振るわなかったようで、そのくやしさをバネにしたのかななんて空想してしまいました。
今後は間合いや中段突きの弱点を補う技を中心に教えていこうと思います。

団体戦
低学年が出場できなくなったために急遽幼年部から1名アサイン、3年生から1名、6年生1名のチームで臨みました。結果は1勝1敗1分けでポイント差での惜敗でした。でも、それぞれがやれるだけのことをやった結果でしたし、なにより一人ひとりが自分の勝敗の重さを自覚し勝負の結果に対して責任感を持ってくれていたように感じます。

終わりに

個人的に大変喜ばしいなと思ったのは、特に練習するようにと指示しなくても、生徒が自発的に教えあっていた姿が見られたことです。藤和会所属の子が教えてくれて、それをしっかりと自分事にして少しでも技術を身に着けようとする姿勢に感動しました。(次の出番まで3時間以上あることわかってるのかなぁとヒヤヒヤしたのも正直ありますけどね。。。)

当教室としては、もちろん勝負にこだわることを掲げていますが、その先には団体戦で選手が見せてくれたような責任感だったり、勝負の厳しさだったりといった人間的成長をしてほしいからです。その意味で、本大会では十分すぎるほどの成果だったのではないかと考えています。

最後に、保護者様におかれましては、子供の試合を間近で見て応援していたかったと思うのですが、記録係等、大会運営に尽力してくださって本当にありがとうございました。

試合でいいパフォーマンスを出すために知っておきたい事

試合が近づいてきたので、よいパフォーマンスを出すためのメンタルについて書きたいと思います。心持は本当に大切ですよ。

試合で実力が出せないのは緊張のせいなのか?

「あぁ、負けた。。。緊張しすぎて技が出せなかった。」
「緊張しすぎて格下の相手と競ってしまった。。。」

という声が試合会場のそこかしこで聞こえてきます。

が、

それは本当かというと少し怪しいです。

もちろん緊張のし過ぎというのは、パフォーマンスを落とす要因になるのですが、同時に緊張しなさすぎもよいパフォーマンスを出せません。

私も学生時代に、国体で格上に対して緊張しすぎて何もできなかった苦い経験や、明らかに格下の相手に苦戦した経験があります。前者では、緊張のし過ぎが原因で、後者では緊張のしなさすぎが原因です。

緊張とは

緊張自体はパフォーマンスを上げることも下げることもしうるとはどいう了見でしょうか。以前の記事「勝ちに行くと負ける。。。かもしれない」でも書きましたが、パフォーマンスは感情のコントロールが鍵を握ります。緊張の原因を少し分解してみてみましょう。

競技不安とパフォーマンスの関係は,多次元不安理論で説明されます。(当然、他にもいろんな理論があるのですが、実務的にはこの理論が好きです)

この理論では,うまく遂行できるかなぁという心配に関わる認知的不安と,ストレスによる生理的反応として表現される身体的不安の 2 つに分けられるています。認知的不安というのは簡単にいうと、失敗したくないという心理がもたらすもので、試合中にずっと影響します。身体的不安は普段とは違う試合会場の雰囲気などでもたらされるもので、一定時間経つと緩和します。条件反射みたいなものと思ってください。一般には身体的不安よりも認知的不安の方が競技パフォーマンスに影響するとされていますが、試合時間が数分しかない寸止め空手においては不安による競技パフォーマンスの低下は重要な問題です。

また、競技パフォーマンスへの影響について、認知的不安が高いほどパフォーマンスが低下することが観察されていて、身体的不安については冒頭にあるような緊張しすぎもしなさすぎも両方良くないという研究結果がでています。ただし、難しいのは、認知的不安の影響を考える際に身体的不安の程度も同時に考慮する必要があることです。

認知的不安が低い時は、身体的不安によるパフォーマンスへの影響は少ないのですが、認知的不安が高い時は、身体的不安の程度に応じてパフォーマンスが変わります。認知的不安が高い時、身体的不安が低い時はパフォーマンスがベストな状態よりも低くなりがちであることに加え(影響は比較的小さい)、身体的不安が高すぎる時に急激にパフォーマンスの低下が観察されるのです。

具体例でいうと、「負けたくない」みたいな不安が強い時に、試合開始の笛が鳴って条件反射的に身体的不安がすごく高まると、パフォーマンスを落としてしまうということです。しかも、このパフォーマンスの低下は、身体的不安が解消されても、戻り難いみたいです。

つまり、常によいパフォーマンスを得ようとするならば、身体的不安の解消は放っておいて、認知的不安の程度を下げる努力をするべきだということです。

認知的不安の内訳

認知的不安の内訳はどんなものでしょうか?

「負けるかもしれない」
「失敗するかもしれない」
「負けたらかっこ悪い」

とかでしょうか?負けたら怒られるとかですか?(もはや虐待なので、ないと信じたいけどあるのが現実。。。

いづれにしろ、認知的不安というは感情によるものと理解できます。

感情をコントロールする

感情のコントロールが大事だという事は、以前の記事「勝ちに行くと負ける。。。かもしれない」もお読みください。感情のコントロールは一朝一夕にできるものではないので、普段から練習しておく必要があります。大人だとマインドフルネスに関する書籍を読んで「なるほど。やってみよう。」とできるかもしれませんが、子供はそうはいきません

(ちなみにマインドフルネスは不安や心配が頭から離れない状態から抜け出し、デフォルトモードネットワークと呼ばれるぼんやりと安静した状態になるための技法でもあり、近年、自尊感情を高めたり、抑うつ的感情への対処などで注目されています。また今度書きます。たぶん。)

特に子供は感情のコントロールが苦手です。保護者の声掛け一つで、認知的不安の程度が変わります。親が子供に対して、「次の試合楽しみにしているよ!絶対に勝とうね!!」と言って、子供がすごくいい子で「負けたら、お父さんお母さんが悲しむかも。。。」なんて考えてしまったら目も当てられません。

声掛けというのは子供の性格により変わるものだし、同じ言葉でも、発言者との関係性次第で微妙にニュアンスが変わるから難しいです。同じ「応援しているよ」も、それまでの関係性次第でよい影響も悪い影響も与えうるから慎重になるべきと思います。

なによりスポーツを通じて生きていくうえで必要なスキルを身に着けるという観点からは、自分で感情をコントロールできるようになってほしいですよね。保護者から子供にはエールよりも気づきを送ってほしいと切に願います。気づきを与えるスタイルの会話は、子供に感情と事実を分けて考える癖をつけさせる練習だと思います。実生活上で感情と事実を分けて考えることは非常に大切です。特に有事の際に適切な判断をする上で感情を切り離すことが間違った判断のリスクを減らします。

例えばですけども、

親「次の試合どう?」
子「勝ちたい」
親「応援しているね♡」「どういう試合にしたいの?」
子「蹴りでポイントを取って勝ちたい」
親「蹴りを決めるにはどうしたらいいの?」(具体的な作戦を考える)
 「もしポイントで負けてたらどうする?」(負けている時の想定もしておく)
 「相手の方が早かったら?」(想定と違う時の対処も考えておく)
子「・・・(めんどくせぇ)


試合前だからこの記事を書きましたが、普段からやりましょうという内容で終わってしまって恐縮ですが、参考になれば幸いです。いろいろ書きましたが、認知的不安への対処も学んでもらいたいので、指導としてあえて「絶対勝とうな」とか「頑張るんだよ」と子供にいう事もあることはご愛嬌です。

生徒の精神的成長を垣間見ました

当教室の指導では、精神的強さを身に着けて、どんな世の中でも生き抜ける力を大切にしています。そのためのプロセスとして、勝ちにこだわることも指導の中で伝えます。生徒達は良く練習してくれていて、子供ながらに立派だなと日々思います。最近の指導の中でも指導者として嬉しく思ったことがあるので、書き留めておきたいと思います。

悔し泣き

先日、ある生徒の昇給審査を行いました。
練習では本当によくできる子で熱心に取り組んでくれている生徒です。昇給審査と言っても教室内で普段指導している先生が審査するというだけなのですが、それでも審査されるというのは緊張するもので、その子も普段の実力の半分もだせていませんでした。技を度忘れしてしまう。気合が出せない。そんな誰もが経験しうることです。当然私も経験があります。

それでもその子にとっては自分を許しがたい状況と感じたんだと思います。明らかに顔が引きつり、笑顔には無理やりな感がありました。もしかしたら泣き出したいのを我慢していたのかもしれません。

その後、上級学年の生徒と組手の練習をしたのですが、身体の成長度合いが違うので、技が届きません。相手の方が早いものだから、避けようとしてから腰が引けてしまって、余計に距離が遠くなってしまいます。普段は指導者が受けてくれるから気持ちよく技が出せるのに、届かない。悔しかったと思います。それが繰り返されるものだから、ついに泣いてしまいました。きっかけとしては、上級学年の生徒の突きが強めに入ってしまって痛かったことがありますが、その前からぐっと我慢していた涙を痛さをきっかけにしてとどめておくことができなかったのだと思います。

きっとこの涙が、空手に対する熱を帯びさせて、努力が増し、努力がいつか成果になって、成果がその子に達成感を感じさせてくれると思います。

型の成果

当教室では組手が好きな子が多いです。逆に形をやるとなると、時に「えぇぇぇぇ(やだなぁ)」みたいなリアクションが返ってくることの方が多いです。同じように練習した経験がある者として、その気持ちは痛いほどわかります。でも同時に、形こそが組手のよい練習にもなることを知っていますから、形の指導を頑張るわけです。ちょうど大会も近いので形の練習の比率を少し上げていたのですが、やればやるほど形は上達します。

最近の生徒さんは足腰が安定していて、重心移動による前進でスピードが出るようになりました。特に形が上達したなと思う生徒に関しては、組手をやらせた際に、明らかに踏み込みのスピードが上がり、足から手にかけての力の伝達もスムースになっていました。引き手も早くなっていて、全体的に身体を使うスピードが上がっていました。その分、相手をみる余裕ができるので、試合運びも巧くなっているように感じられました。

やはり、形は大事だなとしみじみと感じ、「もっともっと形をやれば、強くなるぞ」なんて下心を持ってしまいますが、現実としては、「えぇぇぇぇ(やだなぁ)」というリアクションをとられ続けて、それでも楽しく形をやらせるだけの指導力は、これからの課題です。


これからも頑張りましょう!

肘内障に気を付けて

先日、子供が転んだ時に、折れてはいなさそうだけど、やたら痛がって腕を動かさない状態になりました。実は以前に、お風呂で遊んでいる時に同じようなことが起きて、その時の診断が肘内障で、同じような痛がり方だったので、今回もそうだろうなとは思っていました。

通常は、腕が強く引っ張られた時に起こるのですが、手をついた時にも起きえる怪我で、空手でも結構起きえるので、本記事では肘内障についての啓発をしたいと思います。

肘内障ってなに?

まず肘内障について、あまりご存知ない方が多いかと思いますので、概説します。肘内障というのは、ざっくり言えば、5歳くらいまでの子供に起きやすい肘の脱臼(に近い)です。

肘の関節は肩関節にぶら下がる上腕骨とその先にある橈骨(親指側)と尺骨(小指側)の3本の骨で構成されています。

橈骨の上腕骨側は尺骨の側で輪状靭帯という硬い組織の束で固定されています。子供のうちはこの靭帯が緩いので、引っ張られたり、捻れたりしたときに外れかけてしまう事があります。これが、肘内障です。

肘内障になる状況
よくあるシチュエーションは、

  • 転びそうになった我が子の手を咄嗟に引っ張った
  • 駄々をこねる我が子を連れて行くために強く引っ張った
  • 転んで、手をついた
  • 手を持って、ジャイアントスイングした

こんなのが多いかなと思います。

肘内障の症状
症状としては、上述のイベントが起こった後に、子供が肘を少し曲げた状態で動かそうとせずに泣きじゃくるのですが、動かさずにじっとしていると痛くないのでテレビとか見せると泣き止みます。楽観的な親だと、子供が痛いと言って嘘をついていると思ってしまうかもしれません。そうはいっても、痛みは一貫性を持って訴えるので、だんだん不安になって病院に行くという流れの受診もありました。たいていは、あんまり腕を痛がるので、骨折じゃないかと思って、レントゲンを希望されます。骨折と違って、局部が腫れたり、熱を持ったりはしないのも、状態を軽く見てしまう原因かもしれません。見た目の印象に騙されてしまうのです。

これまた面白いのが、「痛いよ~」と泣いていたのに、自然に治ることもあります。病院の待合で治ってしまって、さぁ受診という時に、「治ったみたいです。。。」とバツが悪そうにする親御様もいました。

治し方

Youtubeとかに整復の仕方がたくさん出回っているので、興味があれば参考にしていただければと思います。やり方は簡単ですし、実際の整復を見ると、「あれっ?オイラにもできるんじゃね?」と思ってしまうかもしれません。繰り返す子供がいるご家庭では親が治しちゃうこともあるようです。

が、

個人的には、素人の整復はしない方がいいと思います。これは考え方の問題なのですが、骨折の可能性を否定しきれないからという理由を一番に挙げます。本当は骨折なのに、整復を何度も試みたら、その都度激痛を味合せることになりますので、可哀想かなと。。。加えて、肘内障は亜脱臼といって、脱臼「しかけ」なので、治るのですが、脱臼していると整復が難しいです。

もちろん一方で、「可能性としては肘内障の方が高いから、整復してみて、治ったらそれでよし、治らなかったら受診する。」というのもありますが、じっとしていれば痛くないので、不要な痛みを与えないという意味で、まずはレントゲンを撮った方がいいんじゃないかなと思っています。


以上、肘内障についてでした。正直、空手でミットついたりするくらいじゃ肘内障になんてならない子が多いですが、いざという時に慌てないために、知っておいていただきたいなと思います。

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