はじめに断っておきます。今回の記事は全くの持論です。これまでの研究なり報告なりの知見がないわけではありませんが、個人の見解レベルなので、ご了承下さい。
つまるところ、『好きこそものの上手なれ』だぜっていう内容です。
才能ってなに?
体格をはじめ、行動特性など、スポーツの成績を決める様々な要因が遺伝的に決まるとされています。例えば、伝統空手の組手において必要な要素は、クイックネス、反射速度、パワーといった、身体的特性が非常に重要です。α-アクチニン3(ACTN3)遺伝子をご存知でしょうか?この遺伝子にはR型とX型があります。持久系のスポーツ選手にはXX型が多く、スプリント系やパワー系では、XX型がいなかったということで、スポーツの成績に遺伝が影響する例となります。
しかし、サッカーやバスケを始めとした球技やもちろん空手では、単純な身体能力だけでは勝負できません。
空手で言えば、危険予知能力だったり、状況に応じて瞬時に戦略を組み立てる力(冨樫先生はこれを思考の瞬発力と表現されました。)も非常に大事で、身体能力の強みを活かす・弱みを補うことができます。
サッカーの久保健英選手があれほどスペインリーグで活躍されているのも、単にフィジカルやテクニックだけではなく、サッカーにおける戦術理解や、状況に応じたチャレンジができるからです。
つまり、才能には、例えばテクニックのように目に見える才能もあれば、思考のしゅんぱのように、見た目ではわからない才能もあるのです。
遺伝の組合せ
仮に、上述のすべての要素が遺伝的に決まるとして、すべての要素でベストの遺伝子を引継いでいるヒトはどれ程いるのでしょうか?
ACTN3遺伝子は2通りの型がありました。ちなみにメタボリックシンドローム関連の遺伝子型は4〜9通りであると報告されています。
スポーツの成績を決める要素がめちゃくちゃ少なく見積もって10個だとします。
すると、遺伝子が表現する要素には、平均的に遺伝子の型が、2通りなら1024通り(2の10乗)、3通りなら59049通りの型がある計算になります。
遺伝だけで決まるわけない、決まってほしくない
少なく見積もっても、これだけの型があって、全てを親から引き継ぐ確率は、限りなく0に近いと思います。
プロレベルでも、指導者が変わったり、練習環境が変わる事で、成績を伸ばす選手が多くいます。遺伝だけで全て決まるなら、こんなことは起こり得ないはずです。
加えて、遺伝の影響があったとして、それを補う練習が無駄になるなら、こんな悲しいことはないです。
というか、スポーツは楽しむものだ
柔道で小学生の全国大会が今後開催されないことが決まりました。山下会長は、この理由として、一部の指導者および保護者における行き過ぎた勝利至上主義の子供への影響を挙げています。要は、柔道はもっと楽しくやろうよってことですね。
目前の勝利は大事ですが、本来の試合の意義は「試し合い」ですから、強い相手に自分の技を試す機会であるはずです。このチャレンジが子供にとっては楽しくて、その競技に夢中にさせます。
子供に才能がないなと思ったら
子供の習い事の様子を見て、「うちの子才能ないかも、、、」と思った時、そこには親のエゴとして、勝利できないことの悔しさはないでしょうか?思ったほど上達していかないもどかしさはないでしょうか?
もちろん、勝利・上達を目指しで頑張るからこそスポーツは楽しくなるという側面はありますが、もっと根本的には、スポーツを通じて、全人的な能力(身体、精神、頭脳etc…)をいかに成長するかという視点も大切かと思います。
そうだとすれば、仮にその子に競技の才能がないとして、
それでも楽しんでいるなら、
親としてやるべきは、
伸び悩みの原因や勝利のための戦略を一緒に考えてあげるなど、思考の練習のための題材とすれば、それで良いのではないかと思います。
楽しんでいないなら、才能云々以前に、なぜ楽しくないのかを一緒に考えて上げてほしいです。もしかしたら、伸び悩んでいて、それを楽しくないと表現しているのかもしれません。もしかしたら、別の競技に興味が移ったのかもしれません。「もしかしたら」は尽きません。
子供の事に補助輪の如く伴走してあげると、次第にその競技技術は上達していきます。低学年のうちはあんまり上手じゃなくても、言葉の理解力が高まる高学年で一気に上達する子供もいれば、最初は良くて、指導者が目をかけていても、本人の慢心で上達が遅くなり、つまらなくなってやめてしまう子もいます。
いずれにしろ、子供にとっては、親が自分の悩みなり目標なりに、一緒に向かってくれることで、親への信頼が育まれるんじゃないかと思います。
いかがでしたでしょうか?この記事では、スポーツの才能について考えてみました。最終的には教育論みたいになっちゃいましたが、それがスポーツの本質ではないかと思う今日このごろです。
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