いきなりで恐縮ですが、発達障害という疾患が広く知られるようになって、「私、発達障害の傾向があるから」なんていう言い方をされる方をよく見かけるようになりました。
私自身、児童精神発達の専門家でもないんですけど、研究の一環でそれなりに発達障害とはなんぞやというのを勉強するわけで、やっぱり違和感があります。
発達障害ってなに?
発達障害というのは、脳の何らかの器質的問題で、特徴的な行動や情緒が表現されている状態です。保護者や周囲の人との摩擦が生じやすく、本人にとっても、生きづらさを感じる要因になります。文科省の調査では6.5%の児童が潜在的に発達障害を抱えているとされています。
最近では大人の発達障害が問題になるようです。学校生活では、ある程度決まった範囲内での活動や人間関係であり、また、勉強もそれなりにできることから、問題が顕在化しにくく、一方で、社会では多種多様な人と関わる必要があり、解決すべき問題も答えがないことが多いために、大人になって初めて生きづらさを感じ、心療内科を受診して発達障害の診断を受ける方が増えたという背景があります。
発達障害の行動特性
発達障害のサインは幼少期からあります。例えば、特定の対象への半端じゃない執着、他人の気持ちがわかりにくい、注意が散漫で忘れ物が多い、音などの刺激に過敏、などです
これらの行動特性は発達障害の型により、その組み合わせが異なりますので、これがあったら発達障害というような単純なものさしはありません。
唯一共通するのは、「症状による苦痛、社会的・職業的な機能的問題がある」かどうかです。
何が問題か
行動の特性を考えると、他人とのコミュニケーションが難しいかなというのがわかると思います。でも、日本の発達障害の診断率が諸外国と比べて高いことを御存知ですか?そして、それが何を意味するか考えると、発達障害そのものよりも、日本の社会における許容範囲の狭さの方がコミュニケーションの面では問題なのではなかろうかと思えてきます。
特に軽度の発達障害では、周囲が上手くコミュニケーションを取れさえすれば、ストレスが少なく生活が可能です。このコミュニケーションに必要なことは、
「相手を受容すること」
のみです。
性格や個性として受け入れる事さえできれば、あとはただ単に一人の人間として接するのみで、コミニティからの排除の対象にはなりえません。
周りが困りさえしなければ、発達障害は性格の範疇に収まるとも言えます。
発達障害という個性に空手を勧めたい
特に発達障害とされる方はこだわりが強かったりしますし、白黒はっきりしたルールを好みます。
そのため、水泳や武道など個人競技がハマりやすいです。
武道の中でも、特に空手では形が競技になっています。発達障害の持こだわりがこれにハマると凄まじく上達することは明白です。
また、特に注意障害は成長とともに症状が抑えやすくなると言われています。脳の理性を司る部位の発達によるのだとおもいますが、逆に言えば、本人の心掛けでも症状の緩和が可能だということです。空手では、練習を通じて、内面へ目を向けることも多用します。黙想がそのいい例です。人間は一定のリズムで繰り返される事象で一種のトランス状態に導かれることがわかっています。「念仏を唱える時の木魚」とか「神道での祈祷のリズム」もそれです。空手では単一リズムでの突きや蹴りを繰り返しますが、これも発達障害でハマりやすい1つの理由です。
もちろん、聴覚に過敏性がある場合、空手の気合でストレスになってしまうこともありますが、ストレスというのは、適度に与えないといつまで経っても、その問題に向き合えないというのも、また事実です。そこは、様子を見ながら徐々にといったところでしょうね。
以前の記事「筋力は考える力にもなる!?」で、発達障害の方は筋力を高めることで情報処理能力や実行能力が高まる可能性を説明しました。今、発達障害は特別支援学級が作られるなど、教育会でも分けられていくような流れになっています。小学校のうちはいいけど、大学や社会に出てもそれやるのか?っていう話なので、せめて、地域のスポーツクラブくらいはそういう子の受け皿になってあげたいなと思うわけです。
「うちの子供落ち着きないけど、なんとかならないかな」とか、「一人でいることが多いみたいだけど、大丈夫かな?」なんて、心配されていたら、是非一度、当教室に足を運んでください。お子様さえ気に入れば、喜んでご指導致します。
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